平成26年度春季大会シンポジウム要旨

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1. 『偐紫田舎源氏』と『柳亭雑集』

東京大学(院)

金 美眞

東京都立中央図書館所蔵の『柳亭雑集』(以下『雑集』)と題された四冊本のうち一冊は、『湖月抄』「薄雲」巻から「藤袴」巻までの諸注を抜粋した種彦の自筆抄記である。『雑集』には、項目ごとに『湖月抄』の丁数が記され、さらに登場人物の関係や年齢などに関する種彦自身の覚書が書き加えられている。このような諸注抜粋や覚書は『田舎源氏』二十八編から三十八編までの創作に多く利用されている。その際、諸注は合巻の読者でも理解できるような表現に替えられている。

しかし『雑集』のすべての項目が『田舎源氏』の執筆に利用されているわけではない。例えば、『雑集』には「薄雲」「朝顔」巻の藤壺の死に絡む諸注抜粋が多くあるが、『田舎源氏』ではこの話は省略されている。それは「薄雲」巻では加持僧の田貫をめぐる話、「朝顔」巻では朝顔の母鉄蔓の話という新しい話を嵌め込むためと考えられる。また、一方では『雑集』に諸注の見えない場面が『田舎源氏』に取り込まれている。例えば、「薄雲」巻の春秋優劣論の場面や「少女」巻の夕霧と雲居雁の惜別の場面などがある。これらは『源氏物語』の主筋ではないため『雑集』に諸注を書き抜くことはなかったが、『田舎源氏』の創作時に趣向として補われたものであろう。

本発表では、種彦が『湖月抄』の抄記である『雑集』によって構想の大枠を組み立て、その上で新たな挿話を組み込んだという『田舎源氏』の創作過程を明らかにする。


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2. 『雨月物語』の条理を論じ「青頭巾」鬼僧の最期に及ぶ

東京女子大学

矢野 公和

『雨月物語私論』で既に論じたことであるが、この作品の条理の一つに書かないことで表現を完成させる方法があり、その最たるものは叔父子としての崇徳院である。醜悪を意味する名を持つ磯良の容貌は具体的には記されず、髻だけを残した正太郎の最期も描写されてはいないが、逆にそれ故の表現効果を挙げている。「菊花の約」が赤穴の片恋であり、「軽薄の人」左門の行動は赤穴の意に添うものでないことも同書で既に論じたが、「せめては骨を蔵めて信を全うせん」と母に告げたにもかかわらず丹治を誅殺して逐電した彼は赤穴を葬ってはいない。これらに於いて秋成は敢えて省筆することで表現を完成させたのである。

次に、この作品の霊達は仏教的な意味での常識を越える能力を持たされている。秀次の怨霊は聖地高野山の灯籠堂で酒宴に興じ修羅の闘争を繰り返しており、磯良も「黒き仏」の祀られた「荒野の三昧堂」に正太郎を引き入れており、正太郎の体に書かれた呪文も防禦の役には立っていない。

「青頭巾」の鬼僧が悟りを開いたとの見方もあるが、作品世界の条理はそのようにはなっていない。快庵の威徳が称歎され大中寺が曹洞の霊場として再興されたとあるのみで、鬼僧の遺骨がどう扱われたのか、その戒名さえ記されてはいない。これはどう見ても頓悟した者に対する扱いではない。にもかかわらず秋成はここに、食人鬼の「死と再生の神話」を創出したのであると考えられる。


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3. 日野資枝の画賛

日本学術振興会特別研究員

田代 一葉

近世中期の堂上歌人・日(ひ)野(の)資(すけ)枝(き)の画賛詠は、子の資矩(すけつね)が編集した詠草集『先考御詠』(国立国会図書館蔵)絵讃部に、八百十三首(重複を含む)が収められている。詞書から知られる絵の傾向としては、国学者や地下歌人が盛んに詠んだような新奇なものはほぼ含まれず、四季の景物や富士や松竹、鶴亀など、慶賀性のある伝統的なやまと絵の画題が大半を占め、賛も絵を言祝ぎ唱和する、二条派の温雅な詠み振りであると言える。

画賛は、堂上歌人にとっては余技とも言える私的な詠歌ではあるが、例えば『先考御詠』絵讃部の最終歌には、死期が迫った中、依頼を受けた「関羽」の絵に、苦吟の末、本紙を忠実に模写させたものに下書きをするも、実際の染筆には至らなかったという経緯が記され、資枝の真摯な姿勢が看取されるのである。

画賛に対する熱意は、古歌を書きつける画賛においても発揮されていて、門弟・石塚(いしづか)寂(じゃく)翁(おう)記の聞書『和歌問答』には、ある人物から、柳の下に佇む西行の図に「道の辺の」歌の着賛を依頼されるが、寂翁や藤(とう)貞(てい)幹(かん)らと議論の上、この歌は相応しくないとし、『山家集』の別の歌に変更した記事がある。また、門人から依頼された和歌三神像には、送られてきた住吉・玉津島の神像を風景に描き直させた上で、神詠を書きつけて返送している。そこには、与えられた画題を歌学の立場から検討し、その誤りを正すことで、実践的に門人を指導する様子もうかがえる。

以上は、堂上画賛の制作と詠歌の典型を示す好例と考える。


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4. 芭蕉のいとど

白百合女子大学名誉教授

田中 善信

病雁の夜さむに落て旅ね哉

海士の家は小海老にまじるいとど哉

『去来抄』によると、芭蕉は右の二句のうち一句を『猿蓑』に入れるように、撰者の去来と凡兆に要請したという。この二句は季題も異なっており、一見したところ内容も大きく異なっているように見える。したがって二句とも入集させても何の問題もなさそうだが、二句とも入集させることを芭蕉はためらっていたのである。

ためらっていた理由については何も記されていないが、このことについては南信一氏が言うように(『総釈去来の俳論(下)去来抄』)、「この二句は共に蜑の苫屋に病臥して、旅の孤愁を侘びた句であった」からだと考えるほかはなかろう。つまり芭蕉は同じ心境をまったく違う表現で詠みわけたということである。

ごくおおざっぱに言えば「病雁」の句は重厚であり格調が高く、「いとど」の句は軽妙でありかつ平明である。芭蕉はこの二つの句を得て、いずれを取るかみずから決断できなかったということである。当時の芭蕉は新風を目指しながらなお試行錯誤の状態にあったと思われる。

「いとど」の句を私は、病床でいとどの鳴き声を聞きながら秋のわびしさをかみしめている心境を詠んだと解釈しているが、この解釈にしたがって、当時芭蕉が目指していた新風について考えたい。


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1.パネルディスカッション1

シンポジウムT「翻刻の未来」

コーディネーター 九州大学 川平 敏文

近年、古典籍のインターネットによる公開が進み、擬似的にではあるが「原本」の閲覧が容易になってきている。このような状況に応じて、我々は、翻刻とはいかにあるべきかを改めて論じる時期に来ているのではないか。

たとえば、以前は原本の閲覧が容易にできないものも多く、「原本に忠実」といった翻刻姿勢が一定の意味を持ち得たが、影印本やネットでその全画像が見られるような場合、その意味は問い直してみる必要があるだろう。多くの場合、「原本に忠実」な翻刻・引用文は、現代人にとって読みにくい。それよりも、より読みやすい本文を提供すべきだという立場があろう。反面、自覚的に原態を残すという選択肢もありうるが、それはどのような場合に必要になってくるのか。

翻刻という営為は一種の解釈であるから、翻刻による本文の「加工」がどのレベルまで許されるのかという判断は、対象とするジャンルや、個々の研究者間でもまちまちであろう。このことについて、まずは研究者を主たる読者対象とした場合、ついで一般読者(大学生をふくむ)を主たる読者対象とした場合について考えてみる。

もとよりこのシンポジウムでは、統一的な翻刻のガイドラインを示そうというわけではない。研究環境の歴史的変化についての認識を共有するとともに、これから直面するであろう具体的な問題について意見交換し、それぞれの今後の研究に生かしてもらおうというのがその趣旨である。

司会 九州大学 川平敏文
パネリスト  学習院大学 鈴木健一、尾道市立大学 藤澤 毅


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2.パネルディスカッション2

社会とつながる近世文学

コーディネーター 法政大学 小林 ふみ子

近世文学研究において、無自覚な近代主義に立つことなく、近世の人々の価値基準にできるだけ即して行おうということは、この半世紀余で浸透してきた。その理念を共有する学会員のなかで「正しい」文学史が模索され、その人々のみに向けた研究が重ねられてきた。一方、その外側を想定した著作は研究とは異なる普及活動として個人の努力に委ねられてきたのではないか。

「研究」とはそれだけなのか。いろいろな意味で斜陽ぶりが明るみに出つつある今、「研究」の視点を問い直し、現代社会の文脈で必要とされる研究とは何かを考えてはどうだろうか。

福田氏による「和本リテラシーの一問題―書家・三輪田米山の日記紹介について」、石上氏による「春画を展覧するということ」、およびモレッティ氏による「非小説の文学史の重要性―世界文学の視点から見た日本近世文学」(ビデオメッセージ)という三つの事例に基づく問題提起をうけ、我々が現代社会に対して何を提示できるのかを考える。

従来の文学史の枠組みから捨象されてきたもののなかに、地域の人びとのアイデンティを支える、現代人の意識や価値観、文学観に再考を促すなど、広く現代社会、世界の視点に立てば注目される課題があるかも知れない。視点を変えることで光のあたる作者や作品、ジャンルがあり、それが近世文学の研究そのものをも豊かにするであろう。和本リテラシー活動もそこではじめて意義づけられるのではないだろうか。

司会 法政大学 小林ふみ子
パネリスト 日本女子大学 福田安典、立命館大学衣笠総合研究機構専門研究員 石上阿希、ケンブリッジ大学 ラウラ・モレッティ(ビデオメッセージによる参加)


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(C)日本近世文学会